静岡別院 本堂外観

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別院について

境内のご案内

本堂外観

本堂

1967年(昭和42年)に再建された現在の本堂は、古代遺跡として名高い登呂遺跡(弥生時代)の建築手法を模した、類例のない独自の新様式によるコンクリート建築です。薄いコンクリートを曲面状に組み合わせたシェル構造を採用しており、建築当時の最先端の工法と職人の技術を結集して建てられました。

門徒会館

門徒会館

1985年(昭和60年)に落慶した門徒会館は、法話・講座・各種会議など幅広い用途に使用されており、2階の大広間は法要や研修の場として活用されています。

駐車場

駐車場

法事やお墓参りの際にどうぞご利用ください。普通車4台の駐車が可能です。本堂前にも約8台分お停めいただけます。

墓地

墓地

境内には約150基のお墓がございます。墓地は静岡別院の門徒の方のみご購入・ご使用いただけます。詳しくはお気軽にお問い合わせください。

無量寿堂(集合墓)

無量寿堂(集合墓)

墓じまいをご検討の方や、諸事情によりお墓の維持が難しい方のための集合墓です。詳しくはお問い合わせください。

木石堂

木石堂

静岡別院の創建に深く尽力した宮原木石(寿三郎)の功績を讃えて建てられた記念堂です。宮原木石は幕末・明治期の学者であり、別院創建の礎を築いた人物として今も篤く敬われています。

静岡別院の歩み

参考:『創建百二十年並宮原木石翁百回忌記念、静岡別院創立誌』より

1868 明治元年

発令

新政府の政策である廃仏毀釈の中、第21代厳如上人(大谷光勝・1894年1月15日没)は人々の願いを受けて、静岡別院の創建を発令した。

1871 明治4年

創建

この地、駿河に移住した徳川慶喜は、別院創建に尽力した旧幕府家臣の宮原木石(寿三郎)に師事することになる。宮原木石は、江戸末期の1827年(文政10年)に今の岡山県井原市に生まれ、漢学・蘭学を修め、慶喜の師とも言われた人物である。そして仏教や真宗の教えを開華院法住師や南條文雄師に学んだ。

明治初期になり、慶喜の駿府(静岡と改称)移住に伴い、多くの旧幕臣たちも移住し、ここに厳如上人は、駿河・遠江・伊豆三国統括の静岡別院創建を発願した。木石の懇念が実を結び、1871年3月、静岡市葵区上石町の明泉寺の土地建物が本山に献納され、別院としての遷仏遷座法要が執行された。後に遠江・伊豆の門末も崇敬区域となり、三国崇敬の静岡別院が創建された。

1889 明治22年 〜 1945年

2度の焼失

創建19年後の1889年2月1日、31時間燃え続けた静岡大火で、市内中心部1千余戸が灰燼に帰す大火災となり、別院・明泉寺ともに焼失した。翌年7月に別院寺地を上石町より屋形町の現在の地に移転し、1891年1月に再建の標示が出された。大地震・日清戦争などにより再建が遅れ、1902年(明治35年)に再建工事が始まり、1906年(明治39年)に完成した。

しかし第2次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月19日夜半、静岡大空襲により、またもや別院は灰燼に帰した。このとき、宮原木石塔のみが残った。

1951 昭和26年 〜 1985年

本堂再建・現在

復興再建を願う関係者らの並々ならぬ努力により、1951年(昭和26年)5月25日に仮御堂の上棟式が行われた。1967年(昭和42年)に現在の本堂が再建された。コンクリートの要塞を思わせる本堂は、古代遺跡(登呂遺跡)として有名な弥生時代の建築手法を模した、類例のない新様式によるものである。さらに1985年(昭和60年)に門徒会館が落慶し、ようやく別院の機能が回復され、今日に至っている。